「NPO法人田舎のヒロインズ」副理事長さんがハワイに来ました

NPO法人ヒロインズ副理事長・高橋菜穂子ちゃんが5泊6日で合流してくれました。濃厚だった6日間のリポートをします。


「山形ガールズ農場」の代表として業界では有名な高橋菜穂子さんは「NPO法人田舎のヒロインズ」の副理事長でもあり、就任後に母となった彼女は、妊娠中に出馬して、今は村山市議会議員さんとしても活躍されています。すごい…。そんな彼女は教育学部を出ていて、農村部の教育について可能性を探っている心の友でもあるのです。


というわけで、到着した日の午後こそ浜辺でリラックスしたものの、翌日からは学校巡り。まずは約2週間、出入りを許して頂いていたワイキキ小学校へ。


ちょっとここで解説をしますと、1学期だけでも息子たちを入学させるつもりで来たものの、ただでさえ英語を話せない生徒さんが多い学校なので、短期間の受け入れは担任の先生にも、事務の方にも大きな負担をかけることになりそうだったことに加え、公立の小学校なので、納税証明や賃貸契約書などの提出が必要で、今回は正式に生徒として入学するのではなく、「ゲスト」としていくつもの教室や学校菜園への出入りを許して頂いていたのでした。校長先生は、いつか日本との短期交換留学も実現したいという想い描かれているので、1学期程度の短期であれば、もう少し簡単に入学できるような状況が作れたらいいね、と夢を語ってきました。


菜穂子ちゃんと訪れた日は、ハワイ大学から2名、ウィーンから1名、「子供の哲学」指導者の方々が来られ、3年生と1年生のクラスに参加。1年生のクラスでは、リサを輪の中心に入れて生徒さんたちの反応を見たい、と言って頂き、彼女の好きそうなオモチャをたくさん用意して哲学対話を始めました。リサの遊ぶ様子を見ながら、成長とは、とか、自由とは、とか、しつけとは、などのテーマについて、スタッフの方々の巧みな進行によって興味深い意見がたくさん出ました。子供たちが写っている写真は掲載しづらいので、担任の先生やハワイ大学の研究員さんたちと撮った写真を載せます。


その日が我が家にとっての最終日だったので、すっかり仲良くなった学校菜園の先生方と名残惜しい別れをしました。我が家のリトルファーマーズは、ハワイでも多少は役に立てたようで良かったです。ワイキキ小学校の皆さま、ありがとうございました!って日本語で書いても伝わらないか(^_^;)


「頭を柔らかく」と書かれたベンチで自由に遊ぶ1歳児たち。彼女たちが小学校にあがる頃には、日本の学校でも「子供の哲学」がスタンダードになっているといいな。まずは自分たちのできる範囲として、NPO田舎のヒロインズが主催するサマーキャンプにて実践してみたいと思います。


その翌日は、私立の小学校へ。その小学校がどうしても見たかった、と言うよりは、会いたい人がこの学校で働いているから、という理由でお邪魔し、学校菜園の授業を見学して来ました。

会いたかった人とは、「サステイナビリティコーディネーター」という肩書きでフルタイムの仕事を持っているデビーさん。それ何?と聞いたら、デビーさん自身が作った職業とのこと。こちらも解説します。


ハワイ大学の研究者だった彼女が、持続可能な社会を担う次世代教育のためには、教職員とは別に、コーディネーター役のスタッフが学校に必要だ、とハワイ州政府に根気強く訴えかけて、作ったポジションなようです。事実関係、よく確認できていませんが、私が理解した範囲ではそんな感じでした。


彼女が最初にパートタイムの「サステイナビリティコーディネーター」として赴任したのがワイキキ小学校。彼女の尽力によって、今のワイキキ小学校があると言っても過言ではない、と先生の1人が言っていました。だから彼女に会っておいで、とご紹介いただいたのでした。

現在はフルタイム職員として私立の小学校にいますが、学校菜園や、クラス単位の農業体験などをコーディネートする組織も立ち上げたそう。今日はたまたまオアフ島中から先生たちが集まるセミナーが夕方から開かれるとのことで、急遽そちらにも参加させて頂きました。


その翌日には、菜穂子さんにもどうしても見て欲しかったヴォルドルフスクールへ。子供たちの資質を伸ばすことを最優先にしているこの学校に、短期でも交換留学ができたら嬉しいし、シュタイナー教育のホームスクーリングが既に教材としてあるそうなので、人数の集まりにくい農村部ではそんなやり方もあるのかな、と思いました。


ホノルルがあるオアフ島で過ごす最後の日だったので、学校見学の後は観光でもしようかと思っていたのですが、気付けば完全にお仕事モード。私たち、真面目だなぁ(^_^;)


ハワイ州政府の農務省にお勤めの山根さんと急遽アポが取れたので、一期一会と思って子連れで農務省を訪問。ハワイ王朝時代から州政府の建物だったという由緒ある建物に入れて頂きました。ハワイの農家の平均年齢は60歳(日本は65歳を超えている)。後継者不足の他、州政府に農業関係の予算がほとんどないとのことで、農業の振興はどうなることやら、と仰っていました。


そんな中、女性の就農者は増えているらしく、今後、女性農家同士の交流ができたらいいですね、という話になりました。「そういう事なら農務省よりも領事館に話をしておいた方がいいのでは?」というアドバイスを頂いたので、さっそくダメ元で領事館にお電話をしたら、今からどうぞ、とのこと。

領事の有吉さんはとっても知的で素敵な女性で、ご自身も子連れ単身赴任で海外を転々とされているご苦労から、子連れで動き回っている私たちに大きなエールを送って下さいました。今すぐ何かが始まる訳ではないとしても、領事さんと2時間近くもみっちりお話しすることができ、充実した時間となりました。


最後は菜穂子ちゃんの希望によりファーマーズマーケットへ。閉店ギリギリに到着し、高い野菜と、どこの国の料理か分からないようなプレートを買いました。「農閑期はハワイで野菜をつくって料理までして売ったら、いい稼ぎになるかな!?」などと、夢とも妄想とも言えない話をしながら岐路につきました。


さて、そこからはモロカイ島へ。地元の人さえ聞いたことないというmakani kaiという超マイナーな航空会社の、50ドルという破格なチケットで、人生で最も小さい飛行機に乗って、人口7千人のモロカイ島に到着しました〜。9人の乗客中、6人が私たちでした(笑) 飛行時間30分。とてもじゃないけど肥沃とは思えない赤土が上空から見えました。我が家のメンバーはこの島に3週間、滞在します♪


滞在させてもらう友人宅に荷物を置くと、さっそく街へ。菜穂子ちゃんが次の日には帰国なので、日本人らしく寸暇を惜しんでみました(笑)街って言っても、サクッと歩けば10分くらいで通り過ぎちゃうくらいの規模なんですが。この規模感といい、街の人の雰囲気といい、穏やかで優しくていいわぁ。そしてこんな小さな街にもオーガニックショップがあって、パスタのパッケージが可愛すぎて、いつもは男前な菜穂子ちゃんと「わ〜可愛いね」と初めて女子っぽい会話をしたりして(笑)



ショッピングにもウィンドウショッピングにも興味のないボーイズはグローブとバットを持って公園へ。そしたらなんと、さっそくチームに入れることに!!これで3週間のモチベーションは保てそうです。日本人なんていやしないので、英語の勉強にはバッチリ(^_^)v

菜穂子ちゃんが買い物する間、リサと3ヶ月違いの娘さんを預かってオンブにダッコ。懐かしい〜。双子はこんなだったのに、大きくなったもんだ。



滞在させてもらっているお宅は、「島の持続可能性」を探求するするために活動しているNPO法人サステイナブル・モロカイの代表理事さんの自宅。


菜穂子ちゃんが帰った後に、彼女のオフィスを訪ねました。オフィスがある建物は元小学校で、日本でも流行ってる(?)廃校利用ってやつです。3人の女性理事さんのうち、1人は農家さんでもう1人は農家の嫁さん。お〜、ワンダフル。ただし代表理事の人件費はほとんど出てないのが現実という、ほとんど同じ状況なのも笑えました。笑えないけど笑うしかない(^_^;) 目下、補助金の申請準備でお忙しい中、結局もりあがって長居してしまいました。


昔はたくさんいた小〜中規模の家族経営農家が減って、少数の大規模農家が輸出用(島外用)の農産物を作っているため、地産地消が難しいとのことで、それも日本と一緒。それを打開するために週に1度の移動販売車を去年6月に始め、今は約15軒の農家が出荷してるそう。これは4月から私たちがやろうとしている事と一緒。


何よりも大きな課題は、モロカイ島の最大の雇用は遺伝子組換えのM社が作っているという事実。M社に代わる200人分の雇用を創り出して、子供たちや孫までたちまで誇れる美しい島にしたいのだ、と。

眉間にシワを寄せて追い出し運動や政権反対運動をする代わりに、まずは来年の今頃に、モロカイ島の風景をプリントした服でファッションショーをやりたいね!という事で今日のミーティングは終了しました。NPO法人田舎のヒロインズが一昨年やった田んぼファッションショーの世界展開で面白い事になりそうです(kiki絵文字^_^)v まずは活動費を獲得しなきゃ…。代表理事であるエミリアとエリ(私)の飽くなきチャレンジは続くのであります。そんな私たちを野放しにしてくれている大工さんである彼女の旦那さんと、農家である私の旦那さんさんに感謝。老後はラクをさせてあげたい(笑)残りの滞在で、関係者となりそうな人々にお会いし、仕込みをしていきたいと思います。


番外編
先日、母がNHKで比較的がっつり紹介して頂いたそうで。長年お隣さんだった方が写真を送ってくれました。

学生時代にパラリンピックの通訳をしたことがきっかけで、障害を持つ方の家を専門に設計するようになった母。ほとんど儲けにならない事をしつこくやり続けるのはDNAなのかも知れません(笑)バリアフリー設計士の吉田紗栄子、お見知りおきを〜