お正月雑記その3

お正月に思ったことを徒然なるままに書いてきたお正月雑記ですが、今日がどんど焼きだったので、これで最後。私は東京出張で参加できませんでしたが。今日は、ここ数年ずっと考えていた幸福度について思うままに書きます。いろいろな考えがあると思うので、その中の1つとして読み流して頂ければ幸いです。

お正月にゆっくり過ごしている間に、夫がインターネットで面白い記事を見つけました。

「稼げば稼ぐほどハッピーになれるのは年収650万円まで、それ 以上だと幸福感は収入に比例しない」という記事です。

http://gigazine.net/news/20100907_money_buys_happiness/

これはアメリカの話なので、金額的にはズレがあるかもしれませんが、お金持ちになればなるほど幸せか、というとそういう訳でもないという、言ってみれば当たり前の話。

最近、月に2回くらい東京に行っていて、阿蘇にいると物欲が極端に少ないのに、東京の街を歩いていると、欲しいなぁと思うものをちょくちょく見かける。単に、見かける機会の多さが違うだけのことですが、あらゆる興味の人に合わせて、とにかく多様なものが売っていることに、改めて感心するのです。欲しいものがあると、お金が要るから、働かなきゃ、と思う。働くとストレスがたまるので、ショッピングが気晴らしになる。それに慣れると、働いてるのにお金が貯まらないなぁ、ということになり、より収入の多い、でもストレスも多い仕事に就きたくなる。何となくそんな気がします。

阿蘇での暮らしは、何か足りないものがあると、まずは自分たちでどうにか作ろうとする。それでも無理な時は、ネットで探して買う。それが面倒なので、特に欲しいと思わなくなる。そんな具合です!?

為替の違いや都会と農村の違いを考えると、今の場所で今のような暮らしをしていたら、たぶん500万円くらいがボーダーラインのような気がしています。何の根拠もないですが。でも、それ以上の収入を得るためには、今の「幸せ」な要素をたくさん切り捨てないといけないんじゃないかという気がします。

農業以外の仕事もそこそこしているわりには収入は増えない感じですが(苦笑) 、農業にしろ、他の仕事にしろ、収入を目覚ましく増やすためには、だいぶ無理しないとダメなんでしょうね、きっと。だったら、ちょっと我慢しながらでも、家族との時間や、融通の効く働き方を続けるのも、悪くない、と思う今日この頃なのです。春になったらタケノコを探しに行きたいし、突然訪ねてきた友人を心から歓迎したい。そういう心のゆとりを持っていたい。足るを知る、ということを見直すことが、行きすぎてしまった競争社会に対する1つの答えなのかもしれない、と。ほんとに、何の根拠もない、個人的な思いでした。


次回からは、またいつもの百笑ネタに戻りまーす。去年の後半はちょっと真面目な内容が多すぎたかと反省しているので(笑) これからもときどき覗いて下さいね!