噴火・・・でも大丈夫です

阿蘇の中岳が噴火したニュースは全国的に報道されたらしく、たくさんの方からお見舞いのメールやお電話を頂きました。ありがとうございます。おかげさまで稲刈りもすでに終わっている我が家では大した被害もなく、阿蘇ライフ12年目にして初めての経験にただただびっくりしただけでした。


噴火があった日に運転しようと思って車に行くと…。まぁやりますよね、当然(^_^;) これが唯一の?被害でした(笑)。



そんな灰の降る中、車で向かったのは隣町のとあるお店。若手畜産農家の皆さんと一緒に、育て方の違うあか牛の食べ比べ会をしたのです。
スペシャル講師は同窓の先輩である、フードジャーナリストのヤマケンさん。赤身肉を語らせたら一晩中だって話せる赤身肉オタクです(笑)世界中の赤身肉を食べ比べた彼だからこそ見えている、阿蘇のあか牛が持つ可能性についてお話し下さいました。


霜降りももちろんいいのですが、赤身もいいじゃん、という消費者が増えているのは揺るぎない事実。同じあか牛でも、育て方が違うとこれだけ味が変わるということを、生産者さんたちが気付いた、という意味でスペシャルナイトだったわけです。



1時間の講話を聞いた後、5種類の肉の食べ比べ。最後まで放牧した肉、最後の2、3ヶ月は牛舎で飼って仕上げた肉、干し草を中心に食べさせた肉、お産した母牛を熟成させた肉、ごく普通にサシを入れる飼い方をした肉、の5種類。どんなに赤身でサッパリしてても、肉って意外と食べられないものなんですね。でも、「自分はこんな肉を作りたいんだ」というゴールイメージを生産者自身が持たないことには、どんなに赤身肉へのニーズが高いとしても生産は増えない。農家の皆さんが「よ〜しやるよ!」と口々に言ってくれたので、今日の企画は成功だったとおもいます(^_^)b



ところで、私や家族やここの風景をじっくり1年かけて撮影してテレビ熊本さんがつくった1時間もののドキュメンタリー番組「Life 〜私達が残したいもの〜」が全国各地で放送されているようです。が・・・。(ここから長文になります)



http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/23th/14-425.html


実は先日ものすごく凹んでいました。その理由は、守りたいと思って精いっぱい働きかけていたものが、このままではどうしても守りきれないだろうという現実をつきつけられたから。そんなタイミングでこの番組が放送されているというのは、何かの運命なのでしょうか。関東や関西での放送はすでに終わったようで、地方局での放送のタイミングはちょっと分かりません。

このお宮さんがなくなるわけではないし、都会の皆さんにとって「田園風景」であることには変わりはありません。ただ、とても豊かな生態系と、大小様々な田畑が織りなす昔ながらの風景が大きく影響を受けるだけ。コンクリートの水路とできるだけまっすぐな田んぼになります。自然は大きな力を持っているので、きっと長い時間をかけてまたホタルやゲンゴロウを育んでくれることでしょう。でも、世界的に「成長」が行き詰っている中で、大切なものがここにはまだ残っているのに、短期的に見た「経済性、効率性」のためにこの風景が目の前で姿を変えていくかもしれないかと思うと、なんともいえない無力感を感じてしまうのです。


ただ1つ言えることは、どんな外圧もほとんど意味をなさないだろうということ。住民の知りえないどこかでお金が動いてるとかでもない。ここで大変な苦労をしてきた皆さんが「効率化」を心待ちにしているが故の変化なのだということ。たとえ彼らがもう現役を引退しているとしても。今からここで農業を続けていくのは、この集落では私たちだけなので、なんとかしてここの「世界的な価値」を伝えていこうとしていて、もちろんまだ諦めるつもりはないのですが、3月までというタイムリミットまでに時間が迫っているのも事実。来秋には工事が始まる予定です。

阿蘇の噴火でタイムリミットがのびれば何か変わるかな。噴火したら困るけど。
里山資本主義」は大きな賛同を得ているけど、ここまでは届いていない。

きっと都会の人は「なんとかして守らなきゃ」と言うでしょう。

きっと農村の人は「効率化は当然でしょう」と言うでしょう。

もちろん、それぞれの場所で逆のことを言う人もいるでしょう。

効率化しなくていいなんてもちろん思っていません。
賛成とか反対とか、成功とか失敗とか、そんな単純なものではないのです。
でも誤解を恐れずに言います。私には「守りたいもの」があるのです。でも、その思いだけでは、結局何も変えられないかもしれません。この投稿に対して、アドバイスや意見は書かないでください。お返事もできないし、やれることはやっている自負がありますので。ただそういう現実があるってことだけ、知って頂けたら幸いです。

そしてこの投稿を見た地元の皆さん、私が圃場整備に反対だとは思わないでください。手つかずのまま残したいと思っているわけでは決してないのです。でも、田んぼの形をある程度残したり、曲がった水路を残したりすることで、「農村の価値」を守れる可能性だってあるのです。今までこの話題をFBで出すことは避けてきたのですが、ここにきて発しないのは不自然だと思って臆せず書きます。私は「景観に配慮した田畑や水路の整備」がしたいだけなのです。タイムリミットは迫っていますが、そのためにできることは諦めずに続けていきます。浮いた存在になっているのかもしれませんが、隣の部屋でくったくのない笑い声を上げている子供たちのためにも、守るべきものは守るための努力は続けていきたいと思っている次第です。



土曜日に息子たちの通う小学校で学校行事があり、校内で見つけた標語がやたらと胸にしみました。