東京での催しの報告と感想

「若者はなぜ農村に向かうのか」という特集が増刊現代農業という雑誌に載ったのは10年前。あの時の若者は今?という趣旨で「アフター10トーク」が先日、東京で開催されました。非常に充実した会でしたので、長くなるかと思いますが、以下、報告と感想です。


今回集まったのは、特集で取り上げられた3人。当時20代だった3人も、当然10年たてば40歳が目の前の中堅。1年1年を大切に過ごしてきた三人三様の話は、自分で言うのも何ですが、ずっしりと重みがあったと思います。どんなメンバーだったかというと…。


福岡県内で都市から農村に移住した小森耕太くん。わが夫と名前も歳も一緒の彼は、やっぱりナイスガイ。「山村塾」というNPOの職員として移住し、現在は事務局長として活動中。メインの活動である都市農村交流事業もさることながら、一昨年の九州北部大水害後の復興ボランティア活動によって、内外からの信頼や評価がグッと上がったそうです。


もう一人は、世界を放浪した後に、都内から熊本へ移住し、現在は沖縄で「地域おこし協力隊」として活動している小林和彦さん。1歳年上で、40歳になったばかり。全国の廃校をまわって調査もしています。縁故関係のない農村地帯に入り込み、6年サイクルを目途に地域の活性化に取り組んでは、また次の場所に移り住むスタイルは、新しい転勤族と呼べるかも!?火付け名人です。


そして私。「食べ物をつくりながら景観も守り、エネルギーも生み出す農家」を目指して来たわけですが、10年たった今、そのどれもが大きく前進していると実感できる毎日を過ごしています。


3人に共通していること。
1. 壮大な理念や理想があるというより、バブル崩壊後に成人した世代として、「進学→就職、だけではない、違うライフスタイルがあってもいいんじゃない?」という程度の割と軽い気持ちなので気負いがない
2. 最初は月給10万円台からのスタート。今は…それなりに(笑)
3. 自分が目立ちたいわけではない。むしろ人、特に地元の人にスポットが当たるのが何より嬉しい。
4. 企画するのが好き


…他にもあるかも知れませんが、とりあえず。特に、移住直後の収入については、参加されていた皆さんも興味のあるところだったのでしょう。私たちが移住した10年前は、地域おこし協力隊の制度や、就農支援などはほとんどありませんでした。地域おこし協力隊というのは、総務省の制度で、国内版ODAとも呼べるもの。2年間の給料が保障されている他、自治体によっては住むところも手配してくれるようです。過疎地や中山間地の課題を解決するあらゆる活動に携わり、それをきっかけに定住するケースも少なくないようです。10年前と言えば、移住することで変わり者扱いされるほどでもありませんでしたが、今ほど社会的な現象でもない時代。それなりの教育や経験を受けた人材が月10万円程度の収入をあえて選び、楽しそうにしていたのは、見る人にとっては印象的だったようです。世捨て人ではない、というのがポイントですね、きっと。


会場からは、周囲との距離感や、情報発信の際に心掛けていること、などについての質問が会場から出ました。会場側に、「半農半X」の提唱者である塩見さんがご家族と一緒にいらっしゃったという不思議な(?)会。ちょっと先をいく先輩的な存在の塩見さんは、ご自身が提唱されたことを各地でごく自然なこととして実践している私たちを眺めて、どんなお気持ちだったのでしょう。私だったら…ニヤニヤしちゃいそうです。勝手な想像ですが。


田舎での暮らしは、やりようによっては、ストレスの少ない、まことに豊かな暮らし。年収が多いほど「勝ち組」だという価値観だってあっていい。でも、私たちのような「足るを知る」暮らし方は、決して「負け組」ではない。多くの人が多少なりとも感じている「多様性」について、改めて「これもありっしょ」と思えた夜でした。


「チャンスがあればそんな暮らしをしてみたいなぁ」と思っている人にとって、何か少しでもヒントになる知恵や技があれば、それを惜しみなく提供していきたい、というのが3人の思いでした。ただ、いわゆる働き盛りで、こんな暮らしの中でも中間管理職的な立場になってきているのも共通しているので、とにかく忙しい。やたらと忙しい。ぜんぜん、スローライフじゃない(笑)だから、講演やシンポジウムに呼ぶのではなく、私たちのところに来て下さい。そして良かったら滞在して手伝ってください。一緒に酒飲んでください。あ、別にお酒じゃなくてもいいですが。


10年たった今、はっきりと言えるのは、自分たちの選択肢に後悔していないということ。アフター20トークで今と同じセリフが言えるよう、次の10年も楽しんでいきたいと思います。長々とすみませんでした。